川口フェスについて

川口ストリートジャズフェスティバル 誕生物語

現在では、音楽は様々にジャンル分けがなされています。
されど近世以前は、“音楽”と言えばクラッシックのことを指していました。
そのクラッシックとアフリカの民族音楽が融合し発展してできたのが、“ジャズ”です。
ジャズは、アメリカ南部の都市ニューオーリンズに移住してきた黒人達によって産み出されたと言われています。
ニューオーリンズがミシシッピ川の恩恵を受け発展してきたように、川口市もまた荒川の恩恵を受け発展してきた街です。

ニューオーリンズのジャズが工業の発展と共に隆盛になってきたように、川口市も鋳物業の発展に合わせるようにして音楽文化が根付いてきました。

川口駅前1973
川口市には全国に誇れる音楽文化があります。
川口駅前

以前の川口市には、今よりももっともっと鋳物工場が立ち並んでいました。
吉永小百合主演の、“キューポラのある街”という映画の舞台になったほどです。
鋳物とは、加熱してドロドロになった金属を型に流し込んで、冷えて固まったところで取り出して製品にする工法です。
火を使う、大変危険なお仕事です。


そこで鋳物職人さん達は、新年最初の午の日に稲荷神社に火伏を願い、 奉納太鼓を敲きました。
それが、「初午太鼓」の起源で、江戸時代には既に初午太鼓のことを記述した文献があったとされています。
この初午の頃の季節は真冬。乾燥していて、火事が多い季節です。
初午太鼓は、火伏と工場の安全祈願を願って敲かれました。 初午太鼓はどこの工場でも夜を通して鳴り続け、 荒川を越えて、東京の赤羽まで聞こえたと言われています。
鋳物職人は酒に酔い、子供たちはお稲荷様のご馳走に喜び、初牛太鼓を楽しむ。 それが新年の楽しいお祭でした。
今の川口市は、随分と鋳物工場が減ってしまいましたが、昔の川口市と言えば駅を降りれば鋳物工場からの音や匂いに溢れていました。
川口市内、どこもかしこも鋳物工場だらけだったのです。
工場は減ってしまいましたが、初午太鼓は、今もなお川口市の伝統音楽文化として息づいています。
町会や組合単位で、確りと継承されているのです。正月には初午太鼓コンクールも開かれ、また一年を通してお祭りやイベントなどで披露されています。 そんな川口市の歴史的音楽文化を背景に、 川口商工会議所青年部の仲間が地域の人達と共に、 昔、工場で初午の日に敲かれていた初午太鼓をストリートに溢れる音楽として現代に生まれ変わらせたのが“川口ストリートジャズフェスティバル”です。

人は、それぞれのリズムで生活しています。 そのリズムは人によって十人十色、様々です。同じ人でも、時により場所により、リズムが違ってきます。リズムもそれぞれ、好きな音楽も人それぞれです。そして音楽は、人の心をハッピーにしてくれるのです。

音楽を通して、地域活性化を図っていきます!

「夢のある街づくり」を標榜し、人と人との縁を大切にして、産業、観光、伝統、地域社会、教育など様々な要素を融合させた音楽祭として、開催時はもとより1年を通して川口市をより知ってもらう為の観光資源へと、発展させていきます。
川口市内に留まらず、市外からもたくさんの人が来場して貰えるようなフェスティバルにしていきます。
そして、このフェスによる人の流れが地域経済の活性化を促し、音楽文化を継承しながら笑顔溢れる元気な川口市にしていく。
それが、“川口ストリートジャズフェスティバル”の開催意義なのです。

~Everybody has to have a dream~『みんな夢をもつべきだ!』
川口フェス実行委員会